事務所概要
事務所名 | かわもと行政書士事務所 |
行政書士 | 川本弘基 プロフィール 愛知県行政書士会所属 平成22年8月1日登録 第10191970号 |
所在地 | 4860803 愛知県春日井市西山町1589-2 |
Youtube | https://youtube.com/@kikakoreatojapan |
https://twitter.com/kw_office |
事務所沿革
平22(2010)年10月 | 個人事務所を愛知県春日井市に設立 |
平24(2012)年11月 | 名古屋駅前に事務所を移転 |
平27(2015)年8月 | 事務所を法人化し「かわもと行政書士法人」を設立。名古屋オフィス・大阪心斎橋オフィス設置 |
平28(2016)年10月 | 京都市役所駅前店開設 |
平29(2017)年3月 | 京都市役所駅前店閉鎖 |
平30(2018)年5月 | 名古屋オフィスを名古屋駅西口に移転 |
平31(2019)年4月 | 名古屋オフィスを名古屋市中区丸の内に移転 |
令2(2020)年8月 | 大阪心斎橋オフィス閉鎖 本店(名古屋オフィス)を現在の愛知県春日井市に移転 |
令5(2023)年3月 | 法人組織は解散し個人事務所「かわもと行政書士事務所」に移行し現在に至る |
全国の在日同胞の帰化申請・相続・戸籍翻訳のお手伝いをしています。
令2(2020)年5月からオンライン相談を採用し全国対応しています。
相談やご依頼は実際にお会いしてするものという固定観念があの出来事によって完全に吹っ飛びました。
私は在日韓国人同胞の帰化申請を13年にわたり1200人以上サポートしてきました。
帰化申請の相談のために1000回以上法務局に足を運びました。
以前は名古屋と大阪に事務所があったので、東海・関西地域にしか基本的にサービスを提供することができませんでした。
あの出来事が起こり実際にお客様とお会いすることができなくなって初めて気づきました。
お会いせずとも私の経験と実績があればサービス提供において何も支障がないのではないかと。
そして対面での相談をやめて、法務局への同行もやめました。
それでサービスが低下したかいうと、逆にサービスは向上しました。
なぜなら私が日中方々へ出歩くことが無くなった分時間が大幅に増え、案件の進捗管理を遅滞なく徹底して行うことができるようになったからです。
その結果受任から申請までの期間を短縮でき、ほとんどのケースで最も早いだろうと思われるスピード申請をしています。
またこのやり方により全国の在日同胞の皆さんにサービスを届けることが可能になりました。
今まではその地域でサービスを提供するには拠点を設けないとできないと思い込んでいました。
ですから私は名古屋でやってたのを関西でもサービスを提供したいと大阪に支店(2020年8月閉鎖)を出しました。
昨今はオンラインを活用して遠隔地でもサービスを提供したり受けたりするのを人々が自然と受け入れるようになリました。
今まで出会うことがなかったであろうお客様と出会うことができるようになリました。
ほんとに思わぬことで転換期は訪れるものなのですね。
個人開業・法人化・大阪進出・京都撤退・コロナ・全国対応
個人開業してから13年。いろんなことがありました。ざっと振り返ってみます。
平22(2010)年に私が個人で行政書士業を始めました。37歳でした。
平24(2012)年に事務所を名古屋駅前に移転しました。その頃から人を雇うようになりました。
平27(2015)年には在日同胞の帰化申請がほぼ100%という状態でした。
そこで、在日の方が多い関西でもやりたいという思いが高まってきました。そして思い切って関西にも進出することを決めました。
平27(2015)年7月に個人事務所を法人成りして行政書士法人を立ち上げ、大阪の心斎橋にも事務所を出しました。
それから名古屋と大阪を行ったりきたりして仕事をするようになりました。
そして多くの関西の在日同胞の皆さんの帰化のお手伝いをすることができました。
大阪進出から約1年後京都にも事務所を出しました。京都市役所のすぐ横のワンルームマンションに事務所を構えました。
京都進出は完全に無計画で失敗でした。あえなく半年で撤退することとなりました。
その後しばらくは名古屋と大阪の2拠点で続けて1100人以上の経験と実績を積むことができました。
そして令2(2020)年あの出来事がやってきました。
3月までは方々出歩いてましたが、4月からは名古屋大阪間の移動、お客様との対面での面談はやめました。
早期に収束する気配がない中、早々に対面相談の廃止、法務局へも同行しないと決断し新しいやり方を模索し始めました。
従来ではあり得ないやり方ですが、このようなやり方でも弊社の実績と経験があれば、どこよりもいいサービスができると確信しました。
そうと決まれば事務所は2カ所保持する必要はないので、令2(2020)年8月に大阪心斎橋オフィスを畳みました。
これだけ早期に決断し実行できたのは、ポストコロナの社会においてこのようなやり方が普通になるだろうと確信したからです。
お客様に会わない、法務局にも行かないとなれば、日本全国果ては世界中にサービスを提供できることになります。
このやり方を不断の努力で改善して、帰化を考える全ての在日同胞の皆さんに弊社のサービスをご利用いただきたいという思いでいます。
そして今
大阪心斎橋オフィスの閉鎖と同時に、名古屋オフィスも名古屋市中区丸の内から愛知県春日井市に移転しました。
私は以前のように出ずっぱりの生活が180度変わって、ほぼこもって仕事をするようになりました。
このように体制もサービス提供の仕方もガラッと変わりました。
相談対応も案件管理も落ち着いてできるようになり、サービスは向上しました。
きめ細かい対応やスピード対応を全てのお客様に対してできるようになりました。
以前は私が出ずっぱりだったためになかなかすぐに対応できないことが多くお客様に迷惑をかけることも少なくありませんでした。
今はそういうこともなく、できる限りの最高のサービスをスピーディに全てのお客様に提供できるようになりました。
そして令5(2023)年3月に法人組織を解散して個人事務所に戻りました。体制をミニマムにして、さらに業務に専念できる環境を作りました。
弊所を選んでくれるお客様だけのために、じっくり仕事に取り組んでいきたいと思います。
趣味の時間も少しずつ増えて来ました。ピアノとギターを毎日練習しています。毎日少しずつですが進歩が感じられるので夢中になってしまいます。
引き続き私生活も楽しみつつ、私のライフワークである在日同胞の皆さんの国籍や戸籍のサポートをしっかりやっていきたいと思います。